第311回東洋史談話会(2024年11月8日)

題目:明代の淄川畢氏について

報告者:宮崎 聖明(別府大学教授)

要旨

本発表は、明代中期から後期、16世紀後半から17世紀半ばにかけて、山東済南府の淄川県で成長を遂げた畢氏一族について、その崛起の過程を明らかにすることを目的とした。淄川畢氏は、明末崇禎年間に戸部尚書を務めた畢自厳を輩出した一族である。発表者は以前に、吏員の任期を終え下級官員身分を獲得したのち任官まで待機状態にある「省祭官」という身分について考察し、その際、畢自厳一族を、胥吏の家から省祭官身分を経て読書人の家に成長していく一つのモデルとして提示した。今回の発表では、畢氏一族のあり方をあらためて詳細に検討し、上記モデルの妥当性を検討することを目的とするとともに、あわせて山東中部における明代の宗族の事例研究としてこの畢氏一族のあり方を提示することを狙いとした。

明清時代の畢氏一族に言及する先行研究においては、畢自厳の父・畢木およびその兄弟の世代については検討が不十分であり、また言及があっても族譜など単一の史料に依拠する研究がほとんどである。かかる状況に対して、本発表では既知の族譜、畢自厳の文集などを相互対照する方法で検討を行うこととした。また、中国国家図書館蔵『明抄本石隠園蔵稿』に収められている「畢公行実」を主要史料として用いることとした。当該史料は畢木の事跡を記した伝記史料であるが、のちに畢自厳が作成した畢木の伝の素材となったものである。既知の伝に先行する行実を利用することで、畢木とその兄弟の動向をより詳細に検討することが可能となろう。

以上の先行研究・史料の状況をふまえ、まず族譜をもとに畢木の兄弟の子孫の身分を検討した。畢木には五人の兄がおり、みな省祭官となっているが、いずれの家も子・孫の世代に至り官員・生員を輩出している。このことは発表者が以前に提示したモデルに適合すると言える。そして、生員となった畢木を父に持つ子孫は、他の家よりもはるかに多くの官員・生員を出している。

次に、兄弟が強固な組織を形成し、畢木を生員とし、その家を戦略的に成長へと導くべく援助するような宗族結合がこの世代において存在したのか、という問題を検討した。行実など諸史料を検討した結果、畢木とその兄たちとの間には、土地財産をめぐる対立、族譜編纂を契機とした不仲、および嗣子をめぐる族人を巻き込んだ訴訟など、さまざまなトラブルが起こっていた。すなわち、強固な宗族結合は少なくとも畢木兄弟の世代においては実現していなかったことが明らかとなった。

以上から、上述のモデルに示した径路を畢氏一族の各家がたどることができたのは、彼ら世代における宗族結合の成果によるものではなく、個別の家の経済的・社会的力量によるものと考えられる、との結論を得た。今後の課題としては、胥吏・省祭官から読書人へと至る一族の事例を他に探ること、そうした一族の成長と地域社会の状況との関係を考察することなどが挙げられる。