第289回東洋史談話会(2018年5月26日開催)

新規科研プロジェクト「1949年前後の西南民族エリートの覚醒と帰趨に関する史料批判主義的再検討」キックオフ・ミーティング

報告者:吉開将人氏(北海道大学文学研究科教授)
岩谷將氏(北海道大学法学研究科教授)
松本ますみ氏(室蘭工業大学教授)
川田進氏(大阪工業大学工学部教授)
清水享氏(日本大学教授)
三木聰氏(北海道大学名誉教授)

要旨

本科研プロジェクト代表者の吉開将人による趣旨説明の要旨は、以下の通りである。
本研究は、少数民族(非漢族)が集住する中国大陸西南部(西南中国)の非漢族エリートたちが、日中戦争(抗戦)・戦後憲政施行(憲政)・第二次国共内戦(内戦)・中華人民共和国成立(建国)をいかに経験したのか、各分野・各地域(民族)を専門とする研究者の共同研究で、歴史学的に解明を試みるものである。
代表者である吉開は、近年、台湾所蔵の民国档案を基礎とし、中国国内で刊行された各種史料中の記事を網羅的に収集して徹底的な考証を加え、民国档案と断片的記事との整合利用を図ることによって、これまで注目されることのなかった西南中国の非漢族エリートの「楊砥中」という人物の事績を明らかにしつつある。昨年、その基本的研究成果として拙文「楊砥中と民国晩期の西南中国─忘れられた西南民族の「領袖」」(『北大史学』五七、二〇一七年)を発表し、目下、この人物の体系的な伝記を執筆している。
この研究で基本となるのは、中国国内で主に「文史資料」という扱いで刊行・発表されることの多い、党員もしくは党外人士としての本人・関係者による回顧録、地方当局各レベル刊行の各種「党史」「地方志」「戦史」、一九五〇年代の「少数民族社会歴史調査」民族志などの断片的な記事を網羅的に収集し、文言に対する徹底的な史料考証を進め、台湾所蔵の民国档案の記述との比較検証に基づいて、客観的史実を確定させるという地道な作業である。
「文史資料」は口述史料の一種と言えるが、中共に対する自己弁護の目的意識の下で書かれたものが多いので、記述そのままを鵜呑みにすべきではない。しかし、「党史」「地方志」「戦史」などの各種史料中の断片的な記事や、台湾所蔵の民国档案の記述を、緻密に対比し、丹念に検討することで、採用すべき「記憶」と、切り捨てるべきあるいは読み替えるべき「記憶」を区別し、史実を明らかにすることができる。
そもそも今日の中国国内では、中共側の人物や後に名誉回復された人物の事績、あるいはその関連事件以外には、この時期の西南中国の非漢族エリートについて歴史的に研究されることがない。しかし、中国国内で刊行されている「党史」「地方志」「戦史」などの各種史料を丁寧に見てみると、それ以外の西南中国の非漢族エリートについても、紅軍が敵対した「土豪劣紳」、民主改革で打倒された「封建階級」として登場している例が少なくないことに気付くのである。
一方で、西南中国に対して同化主義をとっていた民国政府は、档案中で西南中国の非漢族エリートに言及する場合、その民族帰属に必ずしも言及しない。また中国国内で「党史」「戦史」で西南中国の非漢族エリートに言及する場合も、その民族帰属には言及しないことが一般的である。しかし、中国国内では、一九五〇年代の「民族識別」の成果をそれ以前の過去にまでさかのぼらせて歴史を記述することが慣例であり、通常「文史」「地方志」「民族志」などで一九四九年以前の西南中国の非漢族エリートに言及する場合には、必ず民族区分を明らかにしている。そうした過去に向けた「民族識別」の記述のあり方そのものが問題であることは言うまでもない。しかし、少なくともそれを手掛かりとすることで、民国档案、「党史」「戦史」などの中の、一見しただけでは無関係に見える記事が、実際は西南中国の非漢族エリートの動向を示す貴重な史料である可能性が浮かび上がるのである。
こうした史料考証は、労が多い割に得るものは少ないかもしれない。しかし、南京・重慶・北京中心、あるいは漢人中心の、通常の近現代史研究者とは異なる視点から、近現代史料を積極的に利用し、「民族志」など独特な史料でそれらに考証を加え、一九四九年を跨ぐ二十世紀の各時期に「覚醒」を経験した非漢族エリートたちについて新たな事実を明らかにするということは、中国の体制外に身を置き、非漢族社会に関心を持つ私たちにしかできない、そして私たちがやらなければならない研究であると考える。