北大東洋史談話会・第291回東洋史談話会(2018年9月15日開催)

題目:「福建租佃文書の世界—地主と佃戸の社会空間をめぐって—」

報告者:三木 聰氏(北海道大学名誉教授)

要旨

報告者は、これまで明清時代の福建地域における社会経済史を中心に研究を行ってきたが、種々の事情もあって民間の契約文書を史料として利用することは控えてきた。今回の報告は、この間、中国福建省の厦門大学および福建師範大学によって収集・刊行された『清代閩北土地文書選編』(1980年)・『明清福建経済契約文書選輯』(1997年)等の史料集に収録された租佃文書の分析を通じて、地主・佃戸それぞれの社会空間へのアプローチを試みたものである。
報告者自身の研究も踏まえて、明末以降の福建農村における社会経済的状況に関する従来の知見をまとめるならば、①商品作物栽培を中心とする商品生産の展開、②福建特有の米穀の生産・流通構造の存在、③地主の城居化と地主-佃戸関係の変質、④農村社会への商業・高利貸資本の浸透、⑤地主・商業資本による米穀の“他境”への搬出、そうした状況の帰結として⑥佃戸の地主に対する抗租(佃租納入拒否)には阻米(米穀搬出阻止)としての一面が見られること、等を指摘することができる。これらの内容は、明清時代の地方志、郷紳・士大夫の文集、或いは地方官の公牘等の諸史料によって構築されたものであるが、租佃文書に描かれた世界はどのように関連してくるのであろうか。
本報告は、租佃文書のうち、主として佃戸から地主に渡された“承佃契”の言説に注目した。例えば、乾隆57年(1792)の延平府南平県の「承佃字」には田土の所在地、田土の種類や佃租額とともに、佃租の納入について「備辦好谷、送至河辺、面搧交量(良い穀物を備えて、河辺まで運び、[その場で]籾殻等を吹き飛ばして納付する)」という文言を見いだすことができる。こうした河川・河辺、或いは河船での佃租の納入という状況は、他の文書にも「送水交収」「河辺交割上舡」等によって表現されており、雍正8年(1730)の邵武府光沢県の文書には「面搧送至虎跳河辺交収」とあるように「虎跳河」という固有名詞さえ出てくるのである。ここからは福建農村社会における河川を媒介とした地主-佃戸間の佃租納入をめぐる具体的なイメージが浮かびあがってくると同時に、城市に住む地主と農村に住む佃戸、さらには佃戸の地主に対する抗租という両者の対立的構図のなかで、地主・佃戸それぞれの社会空間が農村の河川によって分断・分割・線引きされていた状況を見いだすことができるのではなかろうか。