第301回東洋史談話会(2021年10月29日開催)

題目:「海賊」取り締まりをめぐるオスマン朝・ヴェネツィア-17世紀末~18世紀初頭-

報告者:末森 晴賀(北海道大学大学院文学研究科博士課程)

要旨

「海賊」をめぐる海上秩序はオスマン朝-ヴェネツィア間における外交上の焦点の一つであり、オスマン朝からヴェネツィアに付与される外交文書であるアフドナーメの中で規定されてきた。オスマン朝-ヴェネツィア間の海上秩序を扱う先行研究では、アフドナーメの「海賊」に関する規定の分析を通して海上秩序形成の過程を明らかにしてきた一方で、アフドナーメの適用には触れてこなかった。そこで、本発表では「アフドナーメ台帳Düvel-i Ecnebiye Defteri 16/4」に収められている、1700~1714年の間に出されたオスマン朝の勅令を用いて、「海賊」取り締まりのあり方について分析した。
分析の結果、次のことが明らかになった。まず、オスマン朝がオスマン人「海賊」を処罰しヴェネツィア人捕虜を解放するというアフドナーメの原則は、実際の「海賊」取り締まりにおいて概ね実践されていた。ヴェネツィア人やヴェネツィア船が海上や陸上でオスマン人「海賊」に掠奪されると、そのことがヴェネツィア大使やバイロを通してオスマン朝中央政府に報告され、中央政府が地方官に対しふさわしい対応を命じることになっていた。ただし、そこで命令される内容は、ほとんどの場合ヴェネツィア人捕虜の解放や掠奪品の返還が中心で、オスマン人「海賊」の処分は稀であった。
また、「海賊」に関する命令を下す際には、必ずアフドナーメが根拠として引用されることになっており、主にマグリブ以外の「海賊」にはアフドナーメが、マグリブ「海賊」にはマグリブ私掠船に関する勅書が参照された。ところが、マグリブ「海賊」の場合には命令内容に応じて勅書の関連個所あるいは全文が引用されたのに対し、マグリブ以外の「海賊」についてはオスマン朝が「海賊」を逮捕する場合を除き、命令内容に関わらず1701年の新規定が一律に適用されたのである。この規定は、カルロヴィッツ条約締結後のオスマン朝-ヨーロッパ関係の変化や17世紀以降ヨーロッパで主流になった新たな法規範の影響を反映したものであった。
したがって、カルロヴィッツ条約直後の時代、エーゲ海やアドリア海で依然として「海賊」行為が続く中で、オスマン朝-ヴェネツィア間では16世紀以来踏襲されてきたアフドナーメの原則が実行されつつも、法解釈の面ではヨーロッパ的な法秩序のあり方を取り入れ始めていたのである。