題目:「伝統中国社会と廊橋—明清時代の福建をめぐる初歩的考察—」
報告者:三木聰
要旨
中国の東南沿海に位置する福建省の各地には、一般に廊橋といわれる屋根の付いた橋が数多く存在している。こうした屋根付橋は欧米やアジアの各地、或いは日本にも見出すことができるが、これまでその存在が紹介されているものによる限り、中国各地の廊橋の数は他の地域を圧倒していると思われる。例えば、福建省に限定しても現存する廊橋は270以上という多数にのぼっている。本報告は、中国廊橋の現状分析による知見を踏まえながら、伝統的福建社会における廊橋の存在形態について考察することを目的としたものである。
報告自体は、次のような手法によって進められた。第一に、従来の中国橋梁史研究および2000年代以降に進展した廊橋研究を振り返り、そこで提示された注目すべき論点を整理する。第二に、福建の廊橋をめぐる現状分析から遡及して、明清時代における廊橋の存在形態について検討を加える。第三に、明清時代の福建の廊橋については、福建各地の地方志を主たる史料として分析を行う。
これまで,特に人文・社会的側面を重視して行われた廊橋研究によって導き出された知見によれば、廊橋の有する特質や機能は、ほぼ、次の五点にまとめられる。⑴社交空間、⑵祭祀空間、⑶商業空間、⑷風水機能、⑸標識機能である。今回の報告では、特に⑵と⑶についての考察を行った。
ところで、明清時代の福建各府州県の、ほぼすべての地方志には橋梁関係の記事が存在する。それらの史料は、次の三種に分類することができよう。第一に、地方志の巻首に収録されている〈輿図・絵図〉の類であり、ヴィジュアル的に廊橋の存在を確認しえるものである。第二に、各地方志には「橋梁」「津梁」「橋渡」等の項目において〈橋名一覧〉とでもいうべき記事が見られ、そこには個々の橋梁についての解説が附されているものも多い。第三に、いわゆる〈橋記〉であり、主に地方志の藝文志に収録された個別橋梁の建造・重建・重修のときに書かれた「記」という文章である。これらの史料を通じて明らかになった歴史事象として、特に⑶について簡単に述べるならば、福建各地の廊橋にはその内部に商店が設けられるものがあり、またそこでは墟市といわれる定期市が開かれるものも確認された。また、府城・県城の門外に隣接する廊橋の場合、その一帯が商業地域として機能していた。例えば、福建西部の汀州府城の周辺には麗春門外に済川橋が、朝天門外に太平橋が存在していたが、清初の康煕年間には両橋上に店舗が設置されていた。また、護城河に沿って済川橋から太平橋へと至る「水東街市」と呼ばれる一帯は、江西米や広東塩の集散地として遠方から客商なども来集する一大マーケットを形成していたのである。