題目:「南海大学留学帰国報告」

報告者:秋山萌

要旨

報告者は2017年9月〜2018年6月、中国政府奨学金を得て北海道大学を休学し、天津南開大学歴史学院に普通進修生として約10ヶ月間留学した。この数年来、北海道大学文学部東洋史学研究室から中国留学をした学生はおらず、中国政府奨学金の認知も低いため、本談話においては簡単な奨学金の説明と、留学先の授業や生活、留学中に訪れた地域の紹介を行った。
留学を通じて、中国語能力は向上したものの、学術的な理解に達するには、まだ能力不足であることを痛感した。しかし、中国近代化の中心地の一つである天津で、自身が研究テーマとする中国の近代化や、近代史に関わる様々な旧址を訪れ、また日々変わりゆく中国の発展を直接見て体験することができたのは、とても貴重な経験となった。

題目:「北京見学旅行報告」

報告者:吉澤圭祐

要旨

報告者は11月3日から8日にかけて北京に滞在した。北京では円明園、東交民巷、天安門広場、故宮、盧溝橋など中国近現代史において重要な役割を担った史蹟の訪問・見学を行った。今回の報告は、この北京見学旅行の道中において発見したもの、経験したことを発表したものである。
今回の道中では、上記のような著名な観光地だけでなく、段祺瑞執政府遺址や譚嗣同故居などのマイナーな場所も訪れ、清末から民国初年の雰囲気を感じることができた。また、伝統的な胡同も散策したことで、北京の人々の生活を垣間見ることができたと思う。
報告を通して、北京での経験を知識として再確認することができた。今後も見聞を深めていきたい。

題目:「無名氏『ダフタリ・チンギズ・ナーマ』についての覚書:17世紀ヴォルガ・ウラル地方における歴史叙述によせて」

報告者:長峰博之氏(小山工業高等専門学校 一般科講師)

要旨

本報告では、17世紀末のテュルク語史料、無名氏『ダフタリ・チンギズ・ナーマ』の諸写本、史料的系譜、内容に関わる問題を検討しながら、多様な史料的価値を探り、17世紀ヴォルガ・ウラル地方における歴史叙述の変容のなかに本史料を位置づけることを試みた。本史料の内容は、チンギス家一族のダスタン(物語)、ティムール(アクサク・テムル)のダスタン、エディギュ(イディゲ)・ベグのダスタン、歴史のダスタン(ヴォルガ・ウラル地方の歴史)など多岐にわたるものである。
本史料についてはロシアを中心に40以上の写本が確認されているが、報告者はロシア以外の3写本(パリ、ロンドン、エディンバラ写本)についての調査報告を行った。さらなる写本調査を今後の課題としたい。本史料は多分に伝承的要素を含むが、「何が、どのように書かれているか」に注目することによって、本史料に潜む歴史認識を抽出することができると考えている。例えば、本史料に描かれるティムールがコンスタンティノープル(コスタンティーヤ)を征服する件はあくまで物語であるが、そこに付されたコンスタンティノープルを中心とする迷路図には、同都市を特別視する当時の歴史認識を読み取ることができるだろう。
最後に、17世紀初頭にカシモフ・ハン国で著されたカーディル・アリー・ベグの史書との比較検討を行った。カーディル・アリー・ベグの史書がカシモフ・ハン国の正統性を主張するために「チンギス統原理」を強調しているのに対して、本史料におけるチンギス家の扱いは全体的には小さく、一方でティムールがイスラーム的英雄として描かれている。16世紀を通じてヴォルガ・ウラル地方がロシアの支配下に組み込まれ、同地におけるチンギス家(ジョチ家)の支配が終焉に向かっていくなかで、「チンギス統原理」というものが徐々にゆらいでいったと考えられる。そして、人々のアイデンティティはイスラームへと向かい、ヴォルガ・ウラル地方における歴史叙述はいわば「王朝史」から「地方史」へと変容していく。本史料は、まさにこうした時代のうねりを雄弁に物語っているのではないだろうか。

題目:「福建租佃文書の世界—地主と佃戸の社会空間をめぐって—」

報告者:三木 聰氏(北海道大学名誉教授)

要旨

報告者は、これまで明清時代の福建地域における社会経済史を中心に研究を行ってきたが、種々の事情もあって民間の契約文書を史料として利用することは控えてきた。今回の報告は、この間、中国福建省の厦門大学および福建師範大学によって収集・刊行された『清代閩北土地文書選編』(1980年)・『明清福建経済契約文書選輯』(1997年)等の史料集に収録された租佃文書の分析を通じて、地主・佃戸それぞれの社会空間へのアプローチを試みたものである。
報告者自身の研究も踏まえて、明末以降の福建農村における社会経済的状況に関する従来の知見をまとめるならば、①商品作物栽培を中心とする商品生産の展開、②福建特有の米穀の生産・流通構造の存在、③地主の城居化と地主-佃戸関係の変質、④農村社会への商業・高利貸資本の浸透、⑤地主・商業資本による米穀の“他境”への搬出、そうした状況の帰結として⑥佃戸の地主に対する抗租(佃租納入拒否)には阻米(米穀搬出阻止)としての一面が見られること、等を指摘することができる。これらの内容は、明清時代の地方志、郷紳・士大夫の文集、或いは地方官の公牘等の諸史料によって構築されたものであるが、租佃文書に描かれた世界はどのように関連してくるのであろうか。
本報告は、租佃文書のうち、主として佃戸から地主に渡された“承佃契”の言説に注目した。例えば、乾隆57年(1792)の延平府南平県の「承佃字」には田土の所在地、田土の種類や佃租額とともに、佃租の納入について「備辦好谷、送至河辺、面搧交量(良い穀物を備えて、河辺まで運び、[その場で]籾殻等を吹き飛ばして納付する)」という文言を見いだすことができる。こうした河川・河辺、或いは河船での佃租の納入という状況は、他の文書にも「送水交収」「河辺交割上舡」等によって表現されており、雍正8年(1730)の邵武府光沢県の文書には「面搧送至虎跳河辺交収」とあるように「虎跳河」という固有名詞さえ出てくるのである。ここからは福建農村社会における河川を媒介とした地主-佃戸間の佃租納入をめぐる具体的なイメージが浮かびあがってくると同時に、城市に住む地主と農村に住む佃戸、さらには佃戸の地主に対する抗租という両者の対立的構図のなかで、地主・佃戸それぞれの社会空間が農村の河川によって分断・分割・線引きされていた状況を見いだすことができるのではなかろうか。

題目:「戒煙より見る清末禁煙運動」
報告者:坂東 泰氏(北海道大学文学研究科修士1年)
要 旨

報告者は、昨年度、北海道大学文学部に提出した学士学位請求論文に基づく研究報告を行った。本研究の目的は、清朝が1906年9月20日より開始した禁煙運動(アヘン禁圧運動)について、「戒煙」という点に注目し、従来の研究とは異なる見方を模索することである。「対象地域を設定して、その地域について厳密な検討を加える」という手法は採らなかった為、概括的な見方を得るに止まったが、以下に要旨を記しておきたい。第一に、清朝は、「戒煙」を梃にアヘンの流通管理を模索していた。第二に、上海国際アヘン委員会(1909年2月1〜26日開催)における清朝の動向は、第一の点と大いに関係しており、同委員会で採択された議定書の条文にその影響が認められること。第三に、各地に設けられた戒煙所は、アヘンの流通点という側面が強い。又、禁煙運動による煙館(娯楽として吸飲する為のアヘンを提供する店)等の閉鎖と並行して戒煙所が設置されているため、結果的に既存のアヘンの流通構造は温存されており、これが辛亥革命以降の罌粟栽培再開に関係しているであろうこと。以上の見方を提示した。

新規科研プロジェクト「1949年前後の西南民族エリートの覚醒と帰趨に関する史料批判主義的再検討」キックオフ・ミーティング

報告者:吉開将人氏(北海道大学文学研究科教授)
岩谷將氏(北海道大学法学研究科教授)
松本ますみ氏(室蘭工業大学教授)
川田進氏(大阪工業大学工学部教授)
清水享氏(日本大学教授)
三木聰氏(北海道大学名誉教授)

要旨

本科研プロジェクト代表者の吉開将人による趣旨説明の要旨は、以下の通りである。
本研究は、少数民族(非漢族)が集住する中国大陸西南部(西南中国)の非漢族エリートたちが、日中戦争(抗戦)・戦後憲政施行(憲政)・第二次国共内戦(内戦)・中華人民共和国成立(建国)をいかに経験したのか、各分野・各地域(民族)を専門とする研究者の共同研究で、歴史学的に解明を試みるものである。
代表者である吉開は、近年、台湾所蔵の民国档案を基礎とし、中国国内で刊行された各種史料中の記事を網羅的に収集して徹底的な考証を加え、民国档案と断片的記事との整合利用を図ることによって、これまで注目されることのなかった西南中国の非漢族エリートの「楊砥中」という人物の事績を明らかにしつつある。昨年、その基本的研究成果として拙文「楊砥中と民国晩期の西南中国─忘れられた西南民族の「領袖」」(『北大史学』五七、二〇一七年)を発表し、目下、この人物の体系的な伝記を執筆している。
この研究で基本となるのは、中国国内で主に「文史資料」という扱いで刊行・発表されることの多い、党員もしくは党外人士としての本人・関係者による回顧録、地方当局各レベル刊行の各種「党史」「地方志」「戦史」、一九五〇年代の「少数民族社会歴史調査」民族志などの断片的な記事を網羅的に収集し、文言に対する徹底的な史料考証を進め、台湾所蔵の民国档案の記述との比較検証に基づいて、客観的史実を確定させるという地道な作業である。
「文史資料」は口述史料の一種と言えるが、中共に対する自己弁護の目的意識の下で書かれたものが多いので、記述そのままを鵜呑みにすべきではない。しかし、「党史」「地方志」「戦史」などの各種史料中の断片的な記事や、台湾所蔵の民国档案の記述を、緻密に対比し、丹念に検討することで、採用すべき「記憶」と、切り捨てるべきあるいは読み替えるべき「記憶」を区別し、史実を明らかにすることができる。
そもそも今日の中国国内では、中共側の人物や後に名誉回復された人物の事績、あるいはその関連事件以外には、この時期の西南中国の非漢族エリートについて歴史的に研究されることがない。しかし、中国国内で刊行されている「党史」「地方志」「戦史」などの各種史料を丁寧に見てみると、それ以外の西南中国の非漢族エリートについても、紅軍が敵対した「土豪劣紳」、民主改革で打倒された「封建階級」として登場している例が少なくないことに気付くのである。
一方で、西南中国に対して同化主義をとっていた民国政府は、档案中で西南中国の非漢族エリートに言及する場合、その民族帰属に必ずしも言及しない。また中国国内で「党史」「戦史」で西南中国の非漢族エリートに言及する場合も、その民族帰属には言及しないことが一般的である。しかし、中国国内では、一九五〇年代の「民族識別」の成果をそれ以前の過去にまでさかのぼらせて歴史を記述することが慣例であり、通常「文史」「地方志」「民族志」などで一九四九年以前の西南中国の非漢族エリートに言及する場合には、必ず民族区分を明らかにしている。そうした過去に向けた「民族識別」の記述のあり方そのものが問題であることは言うまでもない。しかし、少なくともそれを手掛かりとすることで、民国档案、「党史」「戦史」などの中の、一見しただけでは無関係に見える記事が、実際は西南中国の非漢族エリートの動向を示す貴重な史料である可能性が浮かび上がるのである。
こうした史料考証は、労が多い割に得るものは少ないかもしれない。しかし、南京・重慶・北京中心、あるいは漢人中心の、通常の近現代史研究者とは異なる視点から、近現代史料を積極的に利用し、「民族志」など独特な史料でそれらに考証を加え、一九四九年を跨ぐ二十世紀の各時期に「覚醒」を経験した非漢族エリートたちについて新たな事実を明らかにするということは、中国の体制外に身を置き、非漢族社会に関心を持つ私たちにしかできない、そして私たちがやらなければならない研究であると考える。

  • 「研究対象地域訪問報告会」
  • 報告者:西嶋尚義氏(北海道大学文学部4年)
  • 要 旨

報告者は2月末から3月はじめにかけてモロッコの諸都市(ラバト、シャウエン、フェス、カサブランカ)に7泊8日で滞在した。シャウエンを除いて、これらの都市はモロッコでも特に栄えた都市であり、歴史的にも重要な役割を果たしてきた。数百年単位で現在まで残り続け、生活の場として使われている。つまり、「生きた」歴史の姿を直に見ることができるのである。例えば、フェスのカラウィーイーンモスクはイブン・ハルドゥーンも学んだ学問の場で、今も高等教育の場として利用され続けている。文献でしばしば目にする地名ではあるが、実際の空気・風景・人びとの様子を想起することは、実際に現地に赴かなければ困難である。それらがどのような様子であるのか、そのような歴史を引き継いで今あるモロッコの様子を体験することができたのは極めて意義深いものであった。

  • 報告者:海野翔太郎氏(北海道大学文学部3年)
  • 要 旨

報告者は3月19日から同28日にかけてモロッコ王国を訪問した。現地滞在期間は8日間で、マラケシュ、エッサウィラ、フェス、シェフシャウエン、ラバトを訪れた。副題にもあるように移動距離は約1800kmと短期間での大移動を敢行した。今回のモロッコ訪問は自らが研究対象とする地に足を踏み入れることで歴史を学ぶ者としての在り方を学び、そして、異文化の「風」に触れることで今までの見方・考え方を変えてくれるインフルエンサーとなってくれることを期待して臨んだ。結果として、報告者のこの期待は大いに満たしてくれたと言えよう。モロッコでの様々な経験を基に今後の研究活動の充実を図りたい。最後に今回のモロッコ訪問をサポートしてくれた私の級友に感謝の意を表したいと思う。

  • 報告者:佐藤穰氏(北海道大学文学部3年)
  • 要 旨

今回の報告では、現地を実際に旅行して目にした現在のトルコの姿を伝えることを目的とした。現地で訪れた都市はイスタンブールとイズミル、その周辺のマニサなど数都市に過ぎず、またこれらはすべてトルコ国内においても経済的に豊かな場所である。とはいえ、これらの都市を歩いてみても、現在のトルコの実情の一端を垣間見ることができたと思われる。
報告においては、近年のトルコの政治状況を踏まえ、現地で見た情報や、現地留学中の末森さんから聞いた話も含め発表を行った。現地の写真の利用はやや不十分であったが、現地の実情を伝えることができ、また自身の現地への知見は深まった。総合的にみて、有意義な旅行だったといえる。

  • 報告者:髙橋稜央氏(北海道大学大学院文学研究科修士1年)
  • 要 旨

報告者は2017年2月と2018年3月の2度、当時在籍していた中央大学文学部の学外活動応援奨学金を得て、研究対象地域であるスペインとモロッコで、文献収集と現地調査を行なった。本報告は、対象をスペインに絞って、その時訪問した中からエスコリアル修道院、トレドのシナゴーグ、セビーリャ大聖堂、コルドバのメスキータやザフラー宮殿跡、グラナダのアルハンブラ宮殿などイスラーム時代の遺構について、歴史的な事象としてレコンキスタの進展と絡めながら説明を行ったものである。本調査では、それぞれの都市がキリスト教の中でもイスラーム時代の残響をはっきりと残し、現在ではそれらを町興しや観光資源などにも利用していたことを直接体感することができた。また報告では、建造物以外にも、10世紀コルドバの詩人イブン・ザイドゥーンとワッラーダの詩が刻まれた碑文も紹介したが、これが何時、何の目的でコルドバに建てられたのかはまでは明らかにできなかった。上述のようなイスラーム時代の遺産を、現在のスペインの人々、またアンダルシーアの人々がどのように捉えているのかといった現代社会につながる問題も今後の課題の一つとしたい。

過去の東洋史談話会